雪ちゃんのパパの日記

ただのおじさんの日記です。

雪ちゃんとの別れ

またまた久しぶりの日記だ。

久しぶりの日記なのに今日は悲しい事を書かなければいけない。

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ブログのタイトルにもした猫の『雪ちゃん』が8月9日の夜に亡くなってしまった。

その日、仕事から帰ったのが夜の7時ごろ。

雪ちゃんは、ほぼ意識のない状態だった。

 

妻は私が帰るまで雪ちゃんに声を掛け続けてくれていたとのこと。

パパが帰るまで頑張って!と

妻に変わりほぼ意識のない雪ちゃんに声を掛けた。

大丈夫か?、雪ちゃん分かるかい?、今帰ったよ。

呼びかけるも返事はない。

苦しそうなので抱きかかえ水を飲ませ口の周りを綺麗にしてあげ声を掛け続けた。

症状は変わることはなかった。

 

シャワーを浴びてから、雪ちゃんをソファーに連れてきて私の横に置いた。

何時ものように晩酌を始めた。

呼吸も絶え絶えで何時逝っても不思議ではないなーって感じだった。

 

何時かは別れが来ることは分かってはいたが、いざその時がくると、何とか頑張ってくれーと思ってしまう。

人間のエゴそのもの。

 

今年の春、新たに家族になった女の子のノアちゃん(チワワ)も早く起きて遊んでと言わんばかりに雪ちゃんの周りにおもちゃをせっせと運んでいた。

首が折れてしまうのではないかと思うほど雪ちゃんの顔をベロベロなめて元気づけようとしていた。

動物にしか分からない何かがあるんだろうなと感じた。

 

呼び掛けには反応がないものの、雪ちゃんの目からは涙が出ていた。目頭を拭いてあげても、拭いてあげても涙は止まらなかった。

苦しくて涙が出ているのだろうか、

私たち家族と別れたくなくてなのだろうか、

 

そして

とうとうその時が来てしまった。

呼びかけても、体をゆすっても、全く反応が亡くなった。

私が帰宅してから約1時間後位の事だった。

 

静かな旅立ちだった。

 

糖尿病と戦っていた雪ちゃん、

ご苦労様でした、

我が家に来て楽しませてくれてありがとう、

沢山の思い出をありがとう。

また何処かで会いましょう。

ありがとう。

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8月10日

雪ちゃんの亡骸を火葬していただいた。

私も妻も涙が止まらなかった。

私の場合、自分の両親が亡くなった時より泣いたかもしれない。

変な話だ。

 

 

犬や猫をペットと呼ぶ方もいる。

それはそれで否定をするつもりもない。

しかし、私には、犬も猫も大切な家族としか思えない。

自分の子供や孫と同じように、泣いたり、笑ったり沢山の思い出をくれる大切な家族だ。

雪ちゃん亡き後、残された家族でこれからも楽しんでいきたいと思う。

 

雪ちゃん、長い間ありがとう

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